2003年12月15日

手術前夜

仕事を終え、明日手術の予定の母を見舞う。

母は、今夜はこの「便が出る薬」と「眠り薬」を飲まなければならないのだと言い、俺の前で「便が出る薬」を飲んだ。「眠り薬」を飲むために、白湯をマグカップに入れて置いてある。もう1時間ほどしたら飲み食いは禁止だそうだ。それまでには「眠り薬」も飲むつもりだろう。
2、3 日前から食欲がなくなっていると言う。手術の日が近づくにつれて緊張感でそうなるのだろうと医者が言っていたそうだ。食べられなかったらお茶だけでも飲んでおけとも。

つい最近、テレビだったかラジオだったか、とても印象に残る言葉を聞いた。
「もうわかってもらう歳ではないだろう。人のことをわかってやる歳だ。」
いつまでたっても、人は己のことをわかってもらいたいと思うものだろう。でも、それなりに歳を重ねたら、もうわかってもらいたいなどと甘えたことを言っていてはいけないのではないだろうか。うーん、”いけない”などと激しく自己啓発する気は毛頭ないが、なんつーかこう、わかってやることができる歳になっていることは、たしかなはず、だな。

息子が母親を見舞うのに理由などつける必要もなかろう。と、それもまた言い訳だろうな。
母の不安を俺はわかってやれただろうか。俺はやっぱり自分の不安を母の所へ持っていっただけかもしれん。

投稿者 meyon : 2003年12月15日 23:22 | Diary 2004

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