2004年11月28日

「透光の樹」

CQN. 透光の樹

昨夜のレイトショーで、妻と「透光の樹」を観てきた。

舞台は昭和63年の石川県鶴来(つるぎ)町。
地元ってこともあって、スクリーンに映し出される風景のほとんどは見覚えのあるものだった。でもそれだけに違和感を感じることも多い。たとえば、金沢から鶴来に行くのに手取川に架かる天狗橋はわたらないよなぁとかさ。
金沢駅が旧駅舎だったのに驚いた。もしかして本当に昭和63年に撮影したのか?って思ったくらい。でもよく思い出してみると、あれは金沢駅じゃないよ。旧金沢駅の改札口からみえるのはホームではなく、地下コンコースへ降りる階段だったから。あのシーンはたぶん西金沢駅あたりではなかろうか。

さて、それはさておき。

山崎千桐(秋吉久美子)と今井郷(永島敏行)の愛の物語だが、展開するようなストーリーはほとんどないと言っていい。ひたすら二人の愛を描く。映画化が困難といわれた所以がそこにあるように思う。だから重い。涙を流すような感動ではなくて、胸にのしかかるような耐えがたい想い。
なぜあの二人は愛し合ったのだろうか?お金は口実にすぎまい。25年前の出会いから惹かれあっていたと考えるのが自然なのじゃないかな。しかしお金を介したがために二人の心は混乱する。それがどこからあのような愛に変わっていったのか。郷の死後千桐がどのように生きてきたかは最後の眉の台詞が物語っているけれど、それほどの愛情はどこからくるのだろう。
なんの予備知識もなく観た映画なので、一度ではとても理解できない。こういう映画はもう一度観たくなってしまうんだな。

で、何回も出てくる秋吉久美子と永島敏行の情事シーンだけど、下手するとおとなしめのAVビデオでも観ているような錯覚を起こすほどの描写。表面的な激しさはないけれど、二人の裸体が実に中年のそれで、そのリアルさが卑猥にも思えるほど中年男女の内面の濃厚さを感じさせる。
観に行くときは、多少覚悟していった方が衝撃を受けなくていいかも。

投稿者 meyon : 2004年11月28日 12:00 | 映画・ドラマ

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