2005年07月03日
映画「電車男」を観てきた
えーと、なんか電車男一色になりつつあるわが書斎であるが。
映画「電車男」を観てきた。
まず、今後映画を観ようと思っている人へ。
スタッフロールの途中で席を立たないこと。スタッフロールの最後にもう一発ありますから〜。
で、周辺の話だけど、山田孝之はいい男すぎる。中谷美紀とのバランスが悪い、いや、バランスがとれ過ぎていると思うな。ドラマ版の伊藤淳史と伊東美咲のほうがアンバランスで良いのではないだろうかと、期待大。
電車男にはあまり違和感は感じなかったけれど、エルメスの描き方については、「これは違うなぁ」と思って観ていた。
それは俺が、これまでに書いたように、片岡義男の小説に登場する女性たちと共通したものを、エルメスに対して感じているからだろうと思う。彼女は、片岡のいう”浮世離れ”した感じではなかった。
エルメスは、ただ単に”外見で人を判断しない”といった優等生的人物としてしか描かれていなかった気がする。電車男みたいな男はどこにでもいそうだけれど、エルメスみたいな女はそうそういない。いそうにない女性を描いているのに、彼女はあまりにまとも過ぎるのだ。
さて、脚本家が仕組んだのか監督の仕業かは分からないが、原作にはなかった興味深い点があった。
それは、掲示板に集まっている登場人物たちが、現実社会で接近遭遇しているというストーリー構成。世の中って広いようで、実はすごく狭くって、どこの誰かも知らないはずの”ちゃねらー”たちが、じつはすぐそばにいるあの人だったりする。その最たる関係が、ひさしとみちこの二人だろう。
なぜそのような構成にしたのか、俺には分からない。寓話めいた理由付けをするのは簡単だろうけれど、それはなにか違うような気がする。けれどもたしかに、匿名掲示板という一見無限に広そうな世界も、実は現実社会と同じように、" It's small world! " な場所に過ぎないのではないか。
「とにかくおまいら外に出てみろ」
ひきこもりだったひろふみが外に出て出会ったのが、あの女性だったりするところに、俺は、”ちゃねらー”たちへのなにかしらのメッセージを感じてしまうのだが…
投稿者 meyon : 2005年07月03日 00:11 | 映画・ドラマ